◆パラ2006年12月号、田島秀男

(詰将棋ないないbotに「馬ノコ」×「龍ノコ」×「金ノコ」とあったので。龍鋸ではないのかなあ)
◆整理するとこんな感じかな

(余計なお世話と作者は思ったかもしれない)
◆近代将棋1964年9月号、北原義治

(浦壁手筋と言うらしい)
◆二上達也「詰め物そぞろある記」No.72

今日のお気に入り詰将棋
分かり易いといえば分かり易いけど。
◆二上達也「詰め物そぞろある記」No.94

今日のお気に入り詰将棋
作意と変化が対称的。初手22角成の余詰があるが44歩→45と位で大丈夫。
◆勝浦修「詰将棋道場」No.150

今日のお気に入り詰将棋
同一作検索では「詰将棋道場7手~11手詰」と出るが「詰将棋道場」とは別の本なので誤り。
「詰将棋道場7手~11手詰」はエントリーされていないがNo.150は次図

◆二上詰将棋金剛篇No.69

No.73の手順誤りとNo.88の不詰修正は図式獲鱗篇で告知されているがNo.69も変。
掲載手順は10手目飛合で駒余りにならないように詰めているが何かの勘違いだろう。
金合であれば発表図の攻方52歩を51香に修正した意味も分かる。
◆二上詰将棋金剛篇No.40

今日のお気に入り詰将棋
◆パラ1999年5月号、北村憲一

T-Baseだと馬が3筋を縦引きする手順になっているが本当かな。
(hiroさんが、作意は11角成、31玉、43桂、41玉、51桂成、同玉、33馬以下17手と書かれていると教えてくれた)
◆ヤフオクに出品されていた「西村英二と将棋」の復元
写真に詰将棋4作が写っている。右ページの2作は判別可能。判別しずらい左ページの作を復元してみた。

左ページ右側、92金、71玉、82金以下19手詰。44の駒は銀にしか見えないが54へ抜けられるので本図は不詰。余詰はあるが44金の誤記か?

左ページ左側、22金、同玉、27香以下21手詰。三桂連合の作。解説者による修正図らしい。写真では16歩だが明らかに17歩の誤記。
(正しい図は17歩→玉方16歩。原図は33手詰の余詰作で収束が締まらない作だったが、解説の森田正司氏による修正図とランスさんが教えてくれた)
◆パラ1978年11月号、上間優

こういう中合は**手筋とか**中合とか、何か名称があるのだろうか。
◆パラ1986年9月号、柳田明

66角、77歩で不詰。T-Baseでは66角、77桂、同角、89玉、88飛、79玉、66角、※77桂以下25手詰となっているが※77歩だと33手かかる。当時の担当は自分かもしれないが全く記憶にない。
(hiroさんによると、25手詰の作意手順が書かれた上で、2手目77歩以下おそらく不詰、8手目77歩以下変化長手数の記述。そして、柳田さんとの電話によると思われる会話文があるらしいが、全く記憶にない)
◆パラ1973年6月号、M・A

合評室掲載でイニシアルということは入選しなかったのだろう。
玉の動きに着目すると面白さはあると思う。
同一作検索をすると翌年青山龍彦名義で将棋世界に発表されていた。
(念のため言うと青山龍彦=野口益雄。でも何故M・Aなのだろう)
◆パラ1986年11月号、るむめにげ

今日のお気に入り詰将棋
読者サロン掲載作だが誰のペンネーム?
(その後の調査で原図はこれらしいと判明)
将棋ジャ-ナル1984年11月号、堀田雅裕

◆近代将棋1978年5月号、堀内和雄(「ねむりねこ」No.20)

堀内さんは詰棋めいと第7号のマイベスト展で上図を自選しているが、本作に関しては内藤九段が一枚上手。
将棋世界1996年3月号内藤国雄

◆スマホ詰パラNo.6290、nono_yの改良案

(最終的に26歩→35銀となったが、限定打、限定合とは我ながら上手い)
◆
大関将棋道場の詰将棋復元してみた。


◆1手詰の最終手余詰

以前ツイッターで見た伊藤果/作。作者は最終手余詰だからOKという理解だが、さすがに無理がある。
最後の1手詰だが、13がなぜ角なのかが、まず理解できない。13を銀にして、さらに玉方42歩追加くらい?
そこまでして、直す意味があるかどうかは別にして。