2年以上前の記事「柏川悦夫のペンネーム」の中で、「新まりも集」15番及び30番の初出等について分かる方は教えてくださいと書いた。
その後、佐原さんから
①15番の初出は王将1954年8月号で原図は77桂→97桂
②30番は懸賞問題ではなく練習問題のためT-Baseに収録されていない。
とコメントをいただいた。
ただ、①については97桂で検索してもヒットしなかった。
そんなことをすっかり忘れていたところ、「詰将棋の欠片」のhiroさんから情報提供があった。
①15番の初出は新まりも集記載どおり近代将棋1953年1月号だが、付録の「詰将棋短篇傑作集」に収録。発表図は97桂。王将1954年8月号には、村木徳氏の「もう少し寛大に-合駒について-」という文章の中で図が紹介されている。
②30番は詰將棋練習問題集というコーナーに掲載されているが、発表図には玉方33歩があり作意が異なる。
というものだった。
新まりも集15番(改良図、近代将棋1953年1月号付録、11手詰)

10手目飛金合をされると変化2手長手数駒余り。村木さんの文章はこのあたりのことを言っているのか。
hiroさんは近代将棋付録の詰将棋短篇傑作集を探しており、最近ようやく実物を見ることができたという記事を見たが、ここにリンクしてくるとは。
ちなみに、詰将棋短篇傑作集は元近代将棋編集長の森さんや近代将棋社で倉庫整理のアルバイトをしたことがあるという某詰将棋ライターも見たことがないと言っていた相当なレア物である。
15番については以上、のつもりだった。
が、更新されたばかりの「借り猫かも」を見ていたら97桂の図が掲載されており、しかも初出が「近代将棋附録1953/01」とサラリと補足されていた。借り猫さん恐るべし。
新まりも集30番(改良図、将棋評論1952年12月号、13手詰)

玉方33歩があると4手目22玉が作意となり最後32金、23玉、22馬までだが、21金と桂を取る手があり厳密には余詰。
上図では22玉が変化となるが最後桂を取って同手数駒余りとなる。
調査していただいたhiroさんには感謝感謝の一手だが、2年以上前の記事をしっかり覚えていたとは、これまた恐るべし。
なお、新まりも集については「将棋雑記」に全局紹介されている。
どうやらこのサイトの管理人が詰将棋短篇傑作集を所有していたらしい。またまた恐るべし。
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以下は新まりも集とは関係のない話。
hiroさんから将棋評論1952年12月号詰將棋練習問題集のコピーをいただいた。
問題集といっても1ページのみで6作しかないが、そのうちの1作。
将棋評論1952年12月号藤井国夫(13手詰)

今の目で見ると既視感のある手順だが、当時ならばかなりの好作、懸賞出題されてしかるべき作。
なぜ練習問題なのか。調べてみると次の作があった。
パラ1952年2月号斉藤孟(11手詰)

この作の改良図として練習問題へ投稿したのか、あるいは類似に気付いた編集者が練習問題へ回したのか。
いずれにせよ、藤井作がT-Baseに収録されていないのは不幸なことだ。
なお、斉藤作の75角は飾り駒のようで後年角を除いた図を別人が発表している。