梶井豊、1952年から53年にかけて将棋世界に5作発表したのみで消えた作家。
5作中2作は不完全。その不完全の一作。
将棋世界1953年3月号、梶井豊(23手詰)

三香連打。只者ではないことが分かる。(11手目34桂のところ23金で余詰)
15年後に発表された次の作。
近代将棋1968年3月号、北原義治(23手詰)

46歩配置で余詰は消えている。
この手順と配置は偶然の一致なのだろうか。
せっかくなので、もう一つの不完全作も紹介しておく。
将棋世界1953年7月号、梶井豊(17手詰)

初手52飛と打つ余詰がある。
近代将棋に発表された北原義治作品は梶井作と同一配置でT-Baseの図は修正図です.
この配置で偶然の一致ということは考えにくく, 梶井豊は北原氏のペンネームかもしれません. 北原さんはいろいろなペンネームで各誌に発表しているので, あり得るのかなと思います.
いつもありがとうございます。
北原作も当初は46歩なしでしたか。
梶井作の修正図ならば北原さんのペンネームかもと思って採り上げてみたのですが、
修正図でないとなると可能性は少し薄らぎましたか。