◆幼稚園、沖昌幸
うまく出来ているので老婆心で調べてみた。

残念ながらパラ2002年9月号末永修二(9手詰)と同一手順。

この図では紛れがないので図としては沖さんの方が優れているが。
さらに良さげな作を見つけた。
将棋世界1939年1月号塚田正夫(「塚田詰将棋」第1集10番、9手詰)

82玉の形で83銀打から始められるが、持駒が増えるのでカットしたのだろう。
「塚田詰将棋」は近代将棋社発行、第1集第2集の合本となっているので付録を単行本化したものか。
私が持っている本は「詰棋めいと」の塚田正夫特集で解答した際の賞品なので森田正司とゴム印が押されている。
◆高等学校、上田吉一

同じ収束の作を2作紹介
将棋ジャ-ナル1985年8月号添川公司(27手詰?)

T-Baseの手順は3手目21金以下27手だが、3手目22金以下25手で21金は迂回が正しいと思う。
なお本作は握り詰。
パラ1997年8月号村瀬信也(11手詰)

作者はたぶん朝日新聞の記者の方。
◆アマ連杯握り詰、馬屋原剛
50代が主力の全国大会スタッフにあって唯一の20代。

趣向自体はあの「虎バサミ」と同じ。
パラ1981年6月号小菊花「虎バサミ」(87手詰、般若一族全作品6番)

作意は
おもちゃ箱の正解者ゼロの詰将棋で。
近藤真一さんにもあった。
パラ2002年9月号近藤真一(95手詰)

その昔、申棋会の東西交流で「メガロポリス」を題材に近藤真一、山本昭一、柳田会長が(他にも誰かいたと思うが)、持駒変換サイクルでの銀合について議論していたような記憶が。ギガロポリスという言葉だけは覚えている。
(
第26回詰将棋全国大会アルバム、柳田会長の看寿賞作解説をお読みください)
あの頃の近藤さんはドラえもんによく似ていた。しかし、
このブログを読むと・・・。
よくやったと山本昭一に褒められていることだろう。
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